橋本は、太古から文化、経済の架け橋

熊野、高野山、吉野、伊勢、紀州の魅力と日本海、京都、奈良、難波の文化、経済が交差する街。両方の魅力をつなぐ架け橋の街。

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沢沿いの祭り

若い男性が祭りの中心を担う。橋本市の中にも、かつての村や集落などがあり、沢ごとに、谷ごとに独特の文化があるのだと感じる。


 

 

なぜ、空海はここにきたのか

 

  • 熊野の力

  • 伊勢の力

  • 高野山の力

  • 都の力

  • 沢山の民族の集まる街

 

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應其寺の石垣は紀の川の片岩


 

橋本はネットワークの中核

隣接の自治体と、県境を気にしないネットワークがすでにある

御所、五條、九度山、高野山、かつらぎ、河内長野と一緒に、複数の文化から生まれたものを売る、知らせる、伝える。

 

  • 三市協議会(五條、河内長野、橋本)

  • 高野、九度山、かつらぎ(伊都郡広域連合)

 

紀の川流域の小さな都会は多くの文化の融合の中にいた

 

 


道と橋本


南海高野線橋本橋梁

 

川の勧め

 


 



Wikipedia 橋本市 cc-by-sa

高野街道伊勢街道大和街道)の交わるところに位置し、京都奈良の都の文化と、高野や伊勢の宗教文化が溶け合い、独自の歴史と文化を育みながら発展。丘陵地から出土する遺構や遺物から、縄文時代にすでに人が住んでいたことが確認されている。また伊勢街道と高野街道とが交差する交通の要衝で、霊峰高野山への参詣口の一つとして発展してきた。近世では徳川氏の力を得て街が拡張され、地方物産の集散地として商業中心地が形成された。これらの交通の要衝と紀の川の陸揚げ場として地方物産の集散地となり」

 

誰がこんなええこと、Wikipediaにも書いたんやろ

 

 


事例紹介

 

札幌の秋の食べ物のお祭り

オータムフェストのコンセプトワーク

石狩川と石狩平野、農産物の収穫祭。農産加工品の最上位は酒。酒は神様に奉納するもの。

北海道すべての酒、そして、世界中から旨い酒。まず、札幌市民が楽しむ。

http://www.sapporo-autumnfest.jp/concept/

 

石狩川と渚滑川

石狩川が道であれい食料庫であったために札幌は函館から北海道の中心となった。

 

 


 

 

オータムフェストの経済効果

オータムフェストは北海道産ワインのブランディングの場として

2008年にスタートしたオータムフェストは、北海道内の農産物特にワインのイメージを大切にコンセプトワークをした。

2014年の来場者による経済効果は、札幌市が支出した金額は2,783万円で

市内総消費額は314億円

平成17年札幌市産業連関表を使って推計した結果、生産波及効果は413億円、所得形成効果217億円、雇用効果3,335人

市税の税収効果10億円

 

平成26年度第15回定例市長記者会見資料(平成27年1月5日)「さっぽろオータムフェスト2014」の調査結果概要についてより

 

 

 


 

オータムフェスト以降の北海道内のワイナリーの変化

「北海道の果樹農業をめぐる情勢」平成27年10月北海道農政部生産振興局農産振興課より作成

 

 

 


オータムフェスト後の加工用ブドウの収量

国の農業振興、自治体の施策も加速して、ワイナリーという企業がいくつも生まれています。北海道の農産物におけるブドウの生産量、ワインの位置付けはまだまだ低いところにありますが。イベントの後、徐々にその需要が動きます。

「道内の果実酒の消費量は、1998年をピークに減少傾向だったが、2009年以降、増加傾向に転じ、2013年は、16,122キロリットル」

「道内の加工用ぶどうのワイン原料仕向け量は、2008年までは2,000トン以上で推移し、その後、2011年まで減少傾向となったが、2012年に増加に転じ、2013年は1,545トン。近年は、加工専用品種の仕向け量が大半を占めている」

「北海道の果樹農業をめぐる情勢」平成27年10月北海道農政部生産振興局農産振興課より

オータムフェストは、国と地方自治体の、産業振興策、農業振興策、雇用対策などの様々施策と、消費者の要求が北海道のワインを育て始めていたときに、北海道の酒を飲ませるイベントを始めたことになります。

 

 


 

 

 

オータムフェストを支えるのは、地元札幌と北海道全体の地域ブランド。

 

それは、北海道と世界からの農産物、農産加工品、水産加工品を集めた市場で、加工の頂点に酒を置いた。

 

祭りは個々の産地、品物があって初めて成り立った。

 

 

 


 

宝水ワイナリーは、地元の農家が出資してできたワイナリー

岩見沢市長と市役所の職員が夢を持って支援

 

私たちのワイナリーができるまで

 

宝水町の歴史は、昭和37年5月1日の地番改正から始まる。それ以前まで、宝水町という名称はなく、“野の沢”と呼ばれていた。そして野の沢には、その名の通り沢の水を利用して暮らしている人々がいた。石狩川左岸の水の便を作り、志文から三笠に通じるの谷から石狩川までの間を水田にするためのダムの計画が持ち上がる。野の沢の集落の人々は「多くの人が米をつくれるなら」と同意。自分たちの開拓した土地を差し出し、水没を選んだ。
大正14年、ダム湖が完成した。出来たダム湖は、宝池と呼ばれるようになり、文字通り宝池の水は岩見沢市の米作りの礎となった宝物だった。
そして昭和37年。地番改正に向けて自らの村の名前をどうするか。話し合いで「宝の池の宝の水だから、宝水町とつけよう」。宝池がこの町にとってどれほど重要だったかが想像できる出来事だ。そして、新たに町の祭を作った。

1980年代から、宝水地区の東向きの丘陵をつかって、ワインのための葡萄が栽培されていた。栽培された葡萄は道内のワイナリーが買取るという、原料供給を行っていた。
そんななかで、宝水ワイナリーは2002年岩見沢市の補助事業として「岩見沢市特産ぶどう振興組合」を立ち上げたところから産声をあげる。2代目代表の倉内氏の葡萄畑の景観を見たときに、時の岩見沢市長が谷の底から畑まで駆け上がり「この美しい畑はなんだ」と訊く。「そうか、ぶどうか。すばらしい風景だ。ここで葡萄ができて、ワインを醸すことができるんだな」という。その後、岩見沢市は、なんとか岩見沢にワイン産業を起したいと考える。そして、農産物に付加価値のついた産業構造を、この農業都市のなかで作れないものかと政策を編むことになる。
沢山の学びと交流の末、地域の農家で「岩見沢市特産ぶどう振興組合」が誕生し、その後皆で出資した株式会社宝水ワイナリーが2006年に誕生した。(宝水ワイナリー会社概要

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ちょっとしたいやみのLocalWiki

LocalWiki岩見沢リージョンの宝水ワイナリー

本来宝水ワイナリーのホームページ書いてあるといいなというもの書いておくと、利用されることがある。

 

 


役所のすることは

  • 橋本市の看板を磨くこと。

  • 徹底した橋本の調査と発信を。

  • 中小零細企業のネットワークの中核機関のとして、公式の調整をすること。

  • ものの売れる場所、見せる瞬間を作ること。

 


住民と企業のすることは

  • 自らの利益を追求すること。

  • 自立すること。

  • 気概の一致する仲間を作ること。


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