橋本市西畑地区

紀の川の南側。国城山の山裾。緑色片岩の石垣がここにもありました。土は褐色の赤土。

小雨がしびしび降っています。

しびしび降るっていう言葉、大阪では使わないらしいです。京都では使うらしいです。橋本は京都との関わりがなんらかあるはずです。今は、菜種梅雨があてはまるのかもしれません。篠突く雨。雨の日本語は美しい言葉がたくさんあります。篠竹を束にして地面に突きおろすように、はげしく降る大雨、豪雨。のことだそうです。言葉の音だけを聞いていると、しびしび降る小雨と同じように聞こえますが、まったく正反対です。そんな小雨の中、肥料と苦土石灰などを畝にまき耕しました。朝からいい汗をかきました。

 

はたごんぼは、江戸期に学文路地域の特産物として盛んに栽培されていました


その衰退した伝統栽培法を地元の高齢者の方の指導により復活させ、畝づくりから収穫までの農業体験を通じて住民と交流が行われています。香り良く、柔らかい幻のはたごんぼ、一度食べると忘れられないと評判です。最近、和歌山県優良県産品(プレミア和歌山)に選定されました。わたしたちは冬に、はたごんぼ鍋をつつくことになりますでしょうか。 まだ、種はまいていません。

 

道路脇にくにぎ広場があって、畑ごんぼ製品を買うこともできます。

 

商品の分類 農産物
商品名 幻のはたごんぼ
生産・製造業者名 農事組合法人 くにぎ広場・農産物直売交流施設組合
所在地 〒648-0042 橋本市西畑579番地
TEL 0736-32-2209

 

幻の「はたごんぼ」の歴史について

西畑地区出身の幻の「はたごんぼ」復活させた”プロムナード国木 徳田勝治様に聞きました。

「はたごんぼ」

    江戸時代~昭和の初めまで、橋本市国木山の麓地域(西畑・東畑地域)で栽培されていた牛蒡です。西畑・東畑の畑の文字をとって「はたごんぼ」の名前が付けられた。春(3月~4月)に種まきを完了し、夏場は、大根の間引きの様に間引き、秋から冬(11月~3月)に収穫販売。「はたごんぼ」は、昭和に入るとフルーツ(みかん、キュウイ、葡萄等)に転作。「はたごんぼ」の栽培は、全く無くなってしまいました。連作作付は出来なく、2年~3年は他の野菜、ネギ、他青物を栽培していた。一般的な家庭には、「はたごんぼ」の薄味の煮付にてして食されていたとの事でした。

     この幻の「はたごんぼ」は、畑等が出来ない山岳地域高野山のお坊さんには、繊維質の多い貴重な牛蒡として大変喜ばれていた。江戸時代~昭和初期までの間、催事事業として冬の雪の降る前に高野山に「雑事」と言って、新鮮な収穫した牛蒡を高野山まで定期的に届けていた行事があった。その行事を3年前に地元の農事組合法人「くにぎ広場農産物直売交流施設組合」が、「雑事のぼり」(ぞうじのぼり)として行事を年に一度だけ復活して開催しています。

    高野山では、薄い塩味の煮付の牛蒡として精進料理の中の一つの具材として食されていました。地元でも香りの良い、大きい牛蒡は、煮付、焼き物等他、用途に合わせた具材の一つとして料理し食されていました。