深澤晟雄は、明治38年12月11日旧沢内村で生まれ、東北帝大卒業後、上海銀行に就職し、その後台湾総督府、満州に移り終戦、帰国後昭和29年から旧沢内村教育長、助役、昭和32年から旧沢内村村長、昭和40年59歳で亡くなる。

主な施策としては「生命尊重」の理念から、昭和36年年齢的に弱い層(満1才以下の乳児と60才以上の老人)に対する国保の10割給付を実施、昭和37年乳児死亡率ゼロを記録し、全国の注目を集める

 

出典:深澤晟雄資料館ホームページ(http://www.fukasawa-masao.jp/)