概要 第4と5次が無いので、戦中の様子が判りませんが、戦時の緊急事態ということで、かなり乱伐されてしまったようです。その結果が第6・7次となります。第3次修正には無かった軌道路線が増えていることと、軌道が「車道」「牛馬道」「木馬道」に転換されている路線が多数あります。理由は以下の通りではないかと推定しいています。伐採地域を広げるために路線をどんどん増やしたことと、戦中に燃料削減の為に、内燃機関車運材を人畜力運材に変更したからではないか。そして、これが図らずも?将来のトラック輸送への布石となって行きます。

「昭和23年度 第六次編成 高野経営区 経営案説明書」及び「第七次経営案説明書 昭和26年度調査 高野経営区」がありますので、戦中、戦後の高野山の実態を見てみます。当時の高野山全体の情況を把握するために、森林鉄道だけでなく車道・牛馬道・木馬道も含めて掲載します。

 

まず、第六次の「前案実行経過の批判」に以下の通り戦中の乱伐への反省が述べられています。要約すると。

戦時中の臨時措置など一時的な伐採計画が用いられ、経営計画と実行に甚だしく食い違いが生じました。例えば主伐では、面積で180%、材積で136%超過して伐採されたのはまだしも、伐採の方法が後先考えずすべて伐採したため、今後の更新不良が生じる。また、搬送能力以上に伐採したため、腐朽材を出したところもある。貴重な森林資源を損耗することないよう計画に基づいた適切な実行が必要だ。

誰が実行させたのかは判りませんが、森林管理のプロとしてはよほど悔しかったのではないでしょうか。行間に想いが滲み出ています。

そして、林道の様子をまとめますと

幹線軌道  軌道         九度山-33林班                                  23.100km

極楽橋線 牛馬道      幹線接続-9林班                                   2.500km

10林班         牛馬道 幹線接続-極楽橋線-9・10林班 1.300km

別所谷線 牛馬道 幹線接続-32林班                               2.900km

御殿川線 牛馬道 幹線接続-33林班                               1.000km

一林班線 木馬道 森脇林道-1林班          0.800km 

三林班線 牛馬道 幹線接続-3林班                                 3.300km

花坂線     軌道      九度山-細川-20林班                         21.600km

森脇林道 車道  河根村-二林班ろ小班      5.900km

・幹線・花坂線以外は、すべて軌道以外の車道・牛馬道・木馬道になってしまいました。

・39林班まで伸びていた幹線が、牛馬道に改修され、別称谷線として幹線に接続しました。

・これまでなかった「御殿川線」が登場します。どうも26林班延長線を総称するようで、御殿川左岸の陣ケ峰を擁する28林班の奥から、右岸の33林班までの区間をさしているようです。

・これらの大きな変化の理由は、戦時中の燃料不足と鉄不足で機関車と軌道が使えなかった事、路線あたりの伐木量と路線建設の費用対効果、そして、残っている森を切って来い、的に路線を急拡大したからではないかと推定しています。ただ、10林班線は、第六次では牛馬道ですが、第七次には軌道に戻りかつ延長されています。実際に実行されたのか、単なる記載間違いなのか微妙なところではあります。

 

第六次の三年後に行われた「第七次経営案説明書 昭和26年度調査 高野経営区」には、非常に詳しく林道の状況が作表されていますので、そのまま引用します。

林道森林鉄道

一級 高野林道幹線     23.084km  明治37-昭和9   九度山-25・26林班界

一級 花坂線                   12.195km    昭和3-7               細川-40林班

二級 花坂線大門支線   1.226km    昭和4-5              花坂線-14・15林班界

二級 22林班支線           2.239km    昭和14                  塵無土場-22林班

二級 20林班支線          1.224km    昭和19-20          牧土場谷口-20林班

二級 10林班線               2.574km    昭和22-23          10林班

二級   9林班線                1.145km    昭和20-21           9林班

二級   6林班線                1.224km    昭和26                   6林班

   合計     44.911km

林道車道

車道    森脇林道              5.898km    昭和8-21         河根村-2林班-3林班併用林道

林道牛馬道

高野林道 8林班線   0.744km 昭和13               林道幹線-8林班 元軌道

高野林道 極楽橋線  2.544km  昭和5                林道幹線-5・8・9林班界 元軌道

高野林道 御殿川線  3.001km 昭和14              林道幹線終点-28林班ろ

高野林道 別所谷線  2.927km  大正10              林道幹線-32・36林班界    

林道木馬道

高野林道 3林班線         3.357km     昭和7                林道幹線-3林班

高野林道 25林班線      0.660km    昭和14              林道幹線終点-25林班

高野林道 御殿川線       1.684km     昭和14-17      30-29林班

高野林道 2林班線        0.795km     昭和17              森脇林道終点-2林班

 

・第六次の林道表に盛り込れなかった路線が多数あったことが判ります。

・第六次の「前案実行経過の批判」に述べられた、計画以上の伐採を行うために、戦中から戦後復興期にかけて路線を新設・延長し、かつ戦前にはほとんどなかった、牛馬道や木馬道に転換が図られていました。

・森脇林道は、現在では高野林道幹線部分も一部含めて呼ばれますが、出来上がった当時は、河根村村道(多分東郷)が起点で、高野幹線には直接は接続していなかったようです。

・林道幹線は別所谷口以西の軌道が取り外され牛馬道の別所谷線に変身し、軌道は26林班線のみになり、開設された頃に逆戻りです。

 

余談1 明治37年開設説の謎

第七次では、幹線の新設時期が「明治37-昭和9」となっています。高野山森林鉄道に関する書物で、開業が明治37年となっているものが多いのは、これが一因かもしれません。では、なぜこう書かれているのか。完全な推定なのですが、明治時代の書き方は「着手-成功」です。現代風に書くと「着工-竣工」でしょうか。実際の軌道幹線は明治37年9月に里道改修が始まり、明治38年に里道の川側に軌道が敷設され、同年開業します。その後継続的に延長され、大正7年頃に最遠部の39林班に到達します。こんどは逆に牛馬道への付け替えなどで軌道は短縮され、昭和26年時点では幹線の成功は昭和9年となっていたのだと思われます。例えば、花坂線は昭和3年に着手し途中回り道しながら建設され、昭和7年に霊宝館裏に到達します。そう考えると罪作りな表現です。

余談2 路線の名前の謎

50年以上の歴史があり、常に路線が変化してきた高野山森林鉄道は、同じ区間でも、その時々で路線名が変化しています。別所谷口から39林班までは、大正時代に完成した時は幹線でした。その後、牛馬道に衣替えして、幹線から外され、別所谷線の名前を与えられました。御殿川林道も、開削当初は26林班延長線だったと思われます。昭和14年に軌道から転換が図られた際に御殿川林道と名付けられました。西廻り幹線とも呼べる、花坂線は当初は花坂線と花坂延長線でした。第七次では花坂線と大門支線に変ります。幹線と花坂線が一級線としてトップに君臨し、一級線に接続する二級線が支線と呼称。接続しない単独線は○○線。軌道以外は全て○○線と呼称したようです。この呼称は、昭和22年の林政統一で、御料林と国有林が統合されたとこからではないでしょうか。

花坂線は、第八次でも花坂線と呼称されています。所謂幹線扱いです。書物などで「花坂支線」と書かれているのは、後世の創作或いは現場の通称であった可能性があります。

余談3 一級線と二級線の謎

森林鉄道と軌道を統合して、森林鉄道として規格が定まったのは昭和28年です。簡単に言ってしまうと、「軌道」と言っていたものを森林鉄道二級線と呼称し、基準としては9kg軌条以下を使用している路線としました。「森林鉄道」と言っていたものを森林鉄道一級線と呼称し、基準は10kg軌条以上を使用していることとしました。

この基準から行くと、こ高野山森林鉄道は全線二級線になります。理由は簡単で、幹線が9kg軌条、そのほかが6kg軌条だからです。しかし、第八次までは幹線が一級、幹線以外は二級と分類されています。実はこの理由が今のところ判りません。規程が見つかりません。これを書いていて、単純に幹線一級・その他二級だった気がしてきました。

 

引用文献

1       大日本山林会報告第286号(大日本山林会 明治39年9月発行) 高野の美林

2       大阪大林区署明治41年度統計書

3       大日本山林会報告第271号(大日本山林会 明治38年6月発行)高野山国有林の伐採

4       山林公報第十号(農商務省山林局 明治40年発行) 高野山林道ノ開通式 

5       大阪大林区署大正2年度統計書

6       改訂九度山町史史料編(九度山町教育委員会)明治41年2月12日旧軌道軌条取外シ 見積書など

7       高野山国有林(大阪営林局 昭和2年5月発行) 高野山国有林施業案説明書

8       伊都橋本木材史(伊都橋本木材組合 昭和61年発行)

9       大阪営林局昭和14年度統計要覧

10    林道事業のあゆみ(林道協会 昭和39年3月発行)

11    みやま(大阪営林局機関誌 昭和4・5年)

12    国有林森林施業小史  大阪営林局創立100周年記念(昭和61年6月発行)

13    高野町史 近現代年表

14     大日本山林会報告第325号 青森森林鉄道敷設竣工

15    日本森林学会HP

16    高野営林署の歩み 和歌山森林管理署高野事務所 平成13年

17    地理院地図 旧版地図

18    林業技術 2000年発行 伐木・集運材年表

19    明治林業史要 大正8年発行 

20    旧版地図大正11年

21    地理院地図

22    大阪営林局昭和3~7年度統計書

23    大阪営林局昭和24年度統計書

24    土木技術 1959年発行

25    道路建設 1960年発行

26    第3次検訂 高野事業区 修正施業案説明書 実行期間 昭和8-12年度

27    第6次編成 高野経営区 経営案説明書   実行期間 昭和24-33年度

28    第7次   高野経営区 経営案説明書   実行期間 昭和27-36年度

29    第8次編成 高野経営区 経営案説明書   実行期間 昭和32-41年度