概要 

東廻り幹線:前の期までに、御殿川の終着26林班、及び一の枝川の終着39林班まで達した幹線ですが、新たな機械化の動きが始まります。昭和3年に内燃機関車が導入され、トロッコを牛馬で引揚げていた39林班線が、改修され新ルート開削と、巻上げインクラインの新設がおこなわれます。

西廻り花坂線:昭和3年から開削に着手し、昭和5年には14林班に到達し、昭和7年に40林班終点に到着し成功します。

 

「第3次検訂修正施業案説明書」によると、昭和7年の時点では

・東廻り幹線     九度山-36林班及び24(別所谷口)-26林班    軌道 延長 28.400km 

 8林班線            8林班                                                                            軌道 延長 0.744km

 極楽橋線          神谷-5林班                                                                軌道 延長 2.544km

・西廻り花坂線  細川-14林班                                                              軌道 延長 6.161km

 花坂線延長       15林班-41林班             軌道 延長 7.140km

・合計  44.989km

 

解説 まず幹線から

東廻り幹線終点の39林班山元から隧道西口に至るルートは、昭和3年にガソリン機関車が導入されるのを機に刷新されます。第五期に開削された同ルートは、勾配が急すぎてガソリン機関車では木材を満載したトロッコを曳き上げられませんでした。そこで、運搬設備とルートを再構築しました。山元から現国道を少し北上すると、隧道西口のある斜面が右手に出てきます。ここに巻上インクラインを設置して、新インクライン下から木材を満載したトロッコを上まで一気に引き上げたのです。インクライン上は、隧道西口と同じ高さにしてあるので、等高線沿いのトロッコ運材が出来るようにしていましたので、隧道口まで手乗り下げしておしまいです⑪。

同時期に高野山では初めて集材機(クライド社製・エンジンはウォーケッシャ)が導入されます。導入目的は、トロッコでは入れない、或いは勾配を稼ぐために経費に見合わない程遠回りをしないといけないような急傾斜地の伐出をかのうにすることです。昭和4~5年にかけて実証実験が実施され、巻上インクラと集材機の経費比較が当時「みやま」で発表されています⑪。

39林班山元が相ノ浦貯水池となっていると申し上げましたが、その時期は昭和8年です。高野町生活環境課HPによると、「大正14年に高野下駅完成以来観光客増加により、衛生状態が急速に悪化し、上水道が急遽整備され、昭和8年に相ノ浦峡谷に貯水池を設けた。昭和28年の洪水で破壊されたが、昭和40年に再整備された」とあります。大正7年頃に山元に到着して15年、巻上インクライン完成後4年、花坂線完成の翌年に山元が水面下に沈んだようです。

   

 

続いて西廻り花坂線

西廻り花坂線は、昭和3年に細川出合から分岐し開発が始まります。明治19年に官林立木払下げが行われた大門浦の地域を縫って行くのですが、明治21年に、古大門或いは大門線出合から矢立に進み細川経由で九度山に至るルートが開削の為に調査されていましたが、それから40年たって、ようやくルート開削が実現することになります。昭和5年に14林班まで完成し、昭和6年に15林班からの延長線が完成し始め、ついに昭和7年に40林班に到達し花坂線全線が完成します。花坂線は幹線同様の9kg軌条が敷設されました。

花坂線が完成したこの頃が、「高野山森林鉄道」の運用延長最大の時期となります

  昭和   7年第3次修正施業案説明書:幹線  28.400km   他      16.589km  計44.989km   

  昭和14年度統計要覧 高野作業所:幹線  26.011km    支線   16.059lm  計42.070km

  昭和24年度統計書の高野事業区    :一級  35.279km  二級     8.408km 計43.687km

  昭和27年5月発行修正施業案           :一級  35.279km      二級     9.548km     計44.827km

  昭和31年大阪営林局統計書    :一級35.8km            二級 9.8km    計45.6km

  昭和32年3月発行経営案      :一級22.765km        二級 7.483km   計30.248km

 

余談1 :花坂線開削時の路線の分け方や呼称は現在と異なっていたようです。細川出合から大門支線終点までを花坂線と呼び、大門出合から41林班までを花坂線延長と呼んでいました。「支線」という文言が出てくるのは戦後の様です。

 余談2 :九度山貯木場 2.5749ha/細川貯木場       0.6040haとなっており、 椎出・神谷・塵無の土場が含まれていません。

 

引用文献

1       大日本山林会報告第286号(大日本山林会 明治39年9月発行) 高野の美林

2       大阪大林区署明治41年度統計書

3       大日本山林会報告第271号(大日本山林会 明治38年6月発行)高野山国有林の伐採

4       山林公報第十号(農商務省山林局 明治40年発行) 高野山林道ノ開通式 

5       大阪大林区署大正2年度統計書

6       改訂九度山町史史料編(九度山町教育委員会)明治41年2月12日旧軌道軌条取外シ 見積書など

7       高野山国有林(大阪営林局 昭和2年5月発行) 高野山国有林施業案説明書

8       伊都橋本木材史(伊都橋本木材組合 昭和61年発行)

9       大阪営林局昭和14年度統計要覧

10    林道事業のあゆみ(林道協会 昭和39年3月発行)

11    みやま(大阪営林局機関誌 昭和4・5年)

12    国有林森林施業小史  大阪営林局創立100周年記念(昭和61年6月発行)

13    高野町史 近現代年表

14     大日本山林会報告第325号 青森森林鉄道敷設竣工

15    日本森林学会HP

16    高野営林署の歩み 和歌山森林管理署高野事務所 平成13年

17    地理院地図 旧版地図

18    林業技術 2000年発行 伐木・集運材年表

19    明治林業史要 大正8年発行 

20    旧版地図大正11年

21    地理院地図

22    大阪営林局昭和3~7年度統計書

23    大阪営林局昭和24年度統計書

24    土木技術 1959年発行

25    道路建設 1960年発行

26    第3次検訂 高野事業区 修正施業案説明書 実行期間 昭和8-12年度

27    第6次編成 高野経営区 経営案説明書   実行期間 昭和24-33年度

28    第7次   高野経営区 経営案説明書   実行期間 昭和27-36年度

29    第8次編成 高野経営区 経営案説明書   実行期間 昭和32-41年度