雑賀崎は、万葉集でも歌われるほど古くからの景勝地であり、室町時代には網漁業に来た漁師が済むようになったと伝えられています。漁村・雑賀崎の斜面に家々が密集した景観は、一説には大切な船の様子を家から見守るためであったともいわれています。

 江戸時代には、紀州藩の台場が二つの岬におかれ、紀伊水道の要になりました。現在では、それぞれ「番所庭園」「雑賀崎台場跡」として整備されています。

 雑賀崎には、彼岸の夕焼けの空に花が降るように見える「ハナフリ」を眺める習慣があり、雑賀崎灯台は絶景スポットとして多くの人でにぎわいます。 

 また、2019年8月には、周辺に広場も整備されました。

 雑賀崎漁港ではでは、漁船が港に戻ると船の前で鮮魚の直接販売が行われます。採れたての新鮮な魚が安く購入できるため、地元の人はもちろん、休日には県外からも多くの人々が集まります。

 集落には、古くからの狭い路地と階段が迷路のように複雑に張り巡らされています。集落に足を踏み入れると、家々の軒先には洗い場があり、かつて使われた井戸や銭湯のあとがみられるなど、懐かしいような漁村の生活文化を感じることができます。

 

 雑賀崎には多くの歴史や文化がある一方、それらの伝承が途絶えかねないような難しい現状もあります。まず、漁師の高齢化と後継者不足です。雑賀崎は、漁師町として栄え、様々な文化が誕生してきました。しかし近年、雑賀崎の漁師たちの主戦場となる沿岸漁業の平均所得は、一般のサラリーマンの半分程度となっています。そのため、集落の子どもたちも域外の企業に就職してしまっているのです。その結果、雑賀崎の漁師の約60%が60代以上、95%以上の漁師が後継者不在となっています。

 

<参考ブログ>

名勝和歌の浦 玉津島保存会

雑賀崎と田野浦

http://wakanoura.exblog.jp/24540840/

昭和の雑賀崎の写真が見れます