搦手(高遠城址) について知っていることをぜひ教えてください

  • 高遠城の裏門に由来する。

  • 天正10年(1582)の高遠城落城の際には主戦場になったと考えられている。

  • 近世初期までは、現在の搦手側が高遠城の表門(大手門)であったとされ、城下町も東側にあったと考えられている。

 

搦手の現在の様子(奥が三の丸)

 

 

【木の下陰】
搦手口の方いにしへ町なるよし衆城圖にも此方町とあり中ころ今の町とかはりたると見ゆ實さもありけむか今侍屋敷の小路々々を荒町或は横町といへり

【新撰高遠誌】
外濠より北方え斜に下る道が有る、此處は元の搦手で、昔は此處に見上ぐる許りの大なる門と番兵の住館があつて、厳めしく、武士は常に銃を肩にしつゝ兩側に立つて出入を誰何したのである、天正の昔此處に於て信盛・長可など云う名將が多くの部下を指揮して烈しく戦い劍光火花を散らし、銃聲耳を聾し、彼處に此處に、死屍累々たりし所である。屍は枯て骨となり刃は折れて霜結ぶ鼓の音か松風か*は枯れて霜結ぶの歌、坐ろに想い起して哀れを添うる所である。