国道1号線(こくどういちごうせん)、箱根道(はこねみち)

開削工事

小田原-湯本間

1875年(明治8)7月から、福住正兄が組織した湯本村報徳結社共同社の名義で工事開始(1)

工事の途中、地蔵磨崖仏のある白石山の開削で地元の反対にあった(1)

1880年(明治13)9月、予定通り完成(1)(2)

完成後に、通行する人力車・荷車から道銭を1銭ずつ徴収して出資金を償還した(1)

湯本-塔ノ沢間

1878年(明治11)9月に湯本、塔ノ沢大平台底倉宮城野の戸長と総代の連名で、湯本-塔ノ沢-木賀間の新道開拓の嘆願書を提出、1879年(明治12)2月に許可になったらしい(1)

塔ノ沢-宮ノ下間

1886年(明治19)11月に、宮ノ下富士屋ホテルの創業者・山口仙之助が塔ノ沢-宮ノ下間の道路開削計画を底倉村の有志にはかり、自らの基金と、横浜の茂木惣兵衛西村喜三郎や宮城野村共有金などから借入れた資金で工事を開始した(1)

1887年(明治20)末には幅3間(約5.4m、人力車が通れるくらい)の道路が完成した(1)

完成後に、通行者から道銭を徴収して工事費を償還した(1)

宮ノ下-芦ノ湯・箱根間

1898年(明治31)に松坂万右衛門が道路開削を立案し、箱根町元箱根村芦ノ湯村の組合長松岡広吉・紀之国屋川辺儀三郎市川浜治らと共に、神奈川県に出願した(1)

1900年(明治33)に許可が下り、1902年(明治35)3月に着工(1)。難工事で支出金が想定外に増えたが、小田原の今井徳三衛門や元箱根の大庭小三郎らが協力して、1904年(明治37)5月に竣工した(1)(2)

参考資料

  1. 鳥居泰一郎「箱根道開削」播摩晃一ほか編『図説 小田原・足柄の歴史 下巻』郷土出版社、1994、12-13頁
  2. 「年表」同書148-151頁

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